ひょんなことから、20代に陶磁器が好きになり、趣味として、現在までつかづ離れず、現在まで続いています。生活に密着した焼き物は趣味としては、楽しく生涯の伴侶です。

李朝鶏龍山水注 李朝後期の品


鶏龍山の焼き物は、鉄砂の絵付けが生き生きとして、屈託がなく、好きになる朝鮮の焼き物です。
よい陶土が少なくなり、土が黒ずんできて、白い釉薬で、化粧がけをして、その上に勢い良く鉄砂で描くのですが、抽象画のようなとこが面白く、やみつきになる焼き物です。

やわらかい肌合いが親しめて座右に置きたくなる品物です。

高麗青磁の肌合いは、貴族的で優雅ですが、鶏龍山となると、朝鮮の焼き物らしく、民族性がでています。

サイズは9.8x14.5cmです。






高麗青磁の油壷


高麗青磁の油壺は、可憐で優美で、とりこになります。

小さいだけに、値段が、手ごろなのと、高麗青磁の特徴が良くでていまして、高麗青磁の入門という気がします。

女性の髪の油を入れていた小瓶とおもいますが、白黒象嵌の小菊の模様が可憐でこころひかれるものです。小菊の図柄は、良くでてきますが、朝鮮の焼き物らしさを感じます。





チョンロのソウル骨董街の思い出


40年以上も前のソウルのチョンロの骨董街には、日本の骨董店で見られない種類の陶磁器がありました。
三島の酒器で、角の先端を切り落としたような形で、お酒を飲み干した後は、上部を下にしておきます。

盃を反対にしておくようなものです。馬上杯ともいうべきもので、飲み干さないと、置くことができません。
大きさは1合くらい入る大きさで、図柄も面白く買いたかったのですが、結局あきらめました。

当時の人は、お互いにぐいと飲み干して、底を見せ合って下に置いたと思われます。酒宴の場面が想像される楽しい酒器です。

高麗青磁は、あちらの人も珍重するので、見かけることは少なく、あってもキズものです。
ソウルの国立美術館がオープンする前でしたが、高麗青磁の優品は、国立美術館オープン後、見ました。
優美な美しさは、朝鮮独特の象嵌模様とあいまって、魂をゆさぶるものです。朝鮮の焼き物のすばらしさに打たれるのはまず、高麗青磁の青磁の美しさでしょう。

中国とも異なる目に染み入るような美しさです。それの独特の象嵌模様がはいるので、とりこになります。
唯、値段が高いので、キズものか破片で我慢するしかありません。



李朝の白磁


李朝の白磁にひかれたのは、韓国のソウルに行くことになってからです。

仕事とプライベートのからみでソウルを訪れました。

宮殿を見に行った帰りに骨董街がありまして、そこで李朝の白磁がおいtrあったのですが、値段も安く、何よりのその清楚な気品ある美しさに打たれました。

重厚なつくりで、手に取ると、日本の陶磁器よりも重くずっしっと来ます。この感触がたまりません。

李朝の染付けの口が欠けてついである面取りの大きな瓶を購入しかことがありますが、無傷ですと、海外持ち出しは禁止で、出国のとき、調べられましが、キズもので持って帰れました。

当時は、提灯壷もごろごろしていましたが、いいものは、ずっと以前に日本にはいっていたものとおもわれます。

提灯壷も時代が下がるものや、キズものが店頭当に並んでいました。何年か前にソウルを訪れて変わりようにおどろいたのですが、骨董街も女性のファション店に変わり、骨董店も新しいものを売っているようで、
李朝の陶磁器も店頭から姿をけしているようです。

韓国ドラマの時代劇で、李朝の白磁や染付けが並んでいたりするとほっとします。

儒教の精神と白磁の持つすがすがしい精神性があうのでしょう。白磁の杯で、ぐいぐいお酒を飲んでいる場面をみますと、白磁は、このようにして使われていたのかと楽しくなります。




朝鮮の焼き物の魅力


朝鮮物は、高麗時代の高麗青磁と李朝時代の白磁、染付けに分かれます。その過渡期の焼き物も

日本人は大好きでして、日本人が世界で一番、朝鮮の焼き物をすきなようです。

李朝の焼き物は、日本にたくさん、来ているようで、韓国よりも多いのかもしれません。

欧米人は、高麗青磁はすきでも、過渡期の三島や李朝は、理解できないようです。

以前、アメリカのマジソンアベニューに店を構える大骨董商の東洋陶磁器を見せてもらいましたが、

中国物は別として、朝鮮物は、おそまつで西洋人と東洋人の見方に差があることがわかりました。

朝鮮物は、ずっしりとしたなかに、くったくのない,茫洋としたとこが魅力で、他国にはない陶磁器の魅

力があります。

逞しさのかかに、おおらかでゆったりとしたやすらぎがあります。土でできた焼き物が、人ををここまで

魅了するとは不思議でです。


東京の骨董店をおとづれる


焼き物の良さが自分なりに、わかるようになったのは、東京に出張に行く機会があって、有名な骨董店を訪問したことです。

本で、日本橋近辺に、有名店が並んでいますが、本で、名前も聞いていたので、思い切って扉を押して入り、そこで一番安いものを購入しました。勇気がいりましたが、素人の怖いもの知らずです。
40年以上も前のことですから、4000円ぐらいでありましたが、現在は、トテモこんな値段ではないでしょう。

陳列されている中国物、朝鮮物が多く、日本の物は少なかったようです。

一流の店だけに筋が通っていまして、素人目にもいいものはきれいで、納得ができました。

高麗青磁の油壺は30000円、しましたが、小さいですが、素敵な図柄で、2点ほど購入しました。

李朝の染付けの瓶も13000円くらいでしたが、もう2度と見ることができません。一旦、手を離れると
入手することは、むずかしくなりますが、また、別のものが欲しくなりますので、手放したりで、手元には、置いておけないようです。



秦 秀雄の本の影響


秦 秀雄さんの「目ききの目」という本だったと思うのですが、出版されて、そこにのっている写真の陶磁器に惹かれました。
土器や陶器が多かったですが、素直な形で説明文とともに、陶磁器の美しさに目を開かせられました。
それほど効果でないか、傷や継ぎがあって高価ではないが、優れた焼き物の紹介です。
秦 秀雄さんが自分の目で見て価値があると選んだ陶磁器で、私にとっても陶磁器を見る基準となりました。
日本の陶磁器は、含みがあります。中国や朝鮮ともことなるデリケートな感覚で、一筋縄でいかない微妙さがあります。

これが日本人の美意識でしょう。バランス感覚に優れも、中庸の精神とも言えるかも知れません。

秦さんのお金をかけずに集めた陶磁器は、美樹幹に飾っている陶磁器というより、生活の中から選んだ陶磁器なだけに親しみがあります。

作家銘の入ったものでなく、自分の目で優れた焼き物と思ったものをえらんでいます。

健康で素直な陶磁器が選ばれています。





神戸の骨董店をのぞく


神戸にもいろんん骨董の店があります。新古を扱う店が大部分で、経営上、何でもあつかわないと、やっていけないのでしょう。

ガードの下に店が多いので良くのぞきましたが、年配というより老人に近い人が主人で、、骨董が本当に好きでやっているケースがおおいようです。

時間があると、ぶらぶらそういった店を訪ねて、陶磁器について教えてもらいます。、
お店のお客は4-50台の年配で、やはり、骨董が好きなひとばかりですから、同好会のようなものです。

伊万里が圧倒的に多く、値段的にも伊万里が一番、買いやすい陶磁器です。それか、陶器とか土器の欠けて修復したもので安いと、手をだしたりとします。

こういう時期が1-2年続いたでしょうか、陶磁器に関心がいったのも、陶磁器を除くと、高価だったり、身近でなく、お目にかかるチャンスは少なく、触れるチャンスの多い陶磁器になったようです。
陶磁器は、生活の必需品だけに、種類も多く、目にするチャンスは多いわけです。



アマがプロになれるか


その洋服屋さんですが、洋服の仕立てが本職ですが、趣味が嵩じて、骨董の商売を洋服の売り場の片隅においてオープンしたしだいです。

洋服の仕事が順調なせいか、骨董の雑誌に大きく広告を載せたりで、洋服のお客さんがついたりで、なかなか盛況なようです。

好きが嵩じて集めた陶磁器を中心にならべていましたが、私も焼き物が好きになりだした最初のころで、興味深々と訪れました。

丹波の壷のような民芸系の陶器が中心だったのですが、高級な茶碗とかになると胡散臭さがあって目の肥えた人から文句がきたようです。

大胆にも返品OKを打ち出して販売していたのですが、あまりにも返品が多くなりすぎたのか、本業にも差し支えてやめたようです。

趣味でやるにはよくても本職で商売となるとむずかしいようで、いっそ新古とりまぜ、真偽関係なく何でも扱うほうが気が楽かもしれません。

でも扱うほうが、気が楽かもしれません。

骨董と銘打っていくと奥が深くアマチュアでは、手に負えない世界になりそうです。


コピーから本物に


プラスチックのコピーは数点買いましたが、最初に買ったのが、ガンダーラの仏像頭部です。彫りの深い顔立ちながら東洋的なほほえみがたまらない魅力です。

同じくハッダの仏像頭部と中国の唐婦人俑です。

信仰の対象だったり、お墓の副葬品だったものが、美的価値がると認められて、美術品として、大事にされてきたのですが、コピーされて商業品として売りにだされたものです。
現在も棚に飾っています。

そのうち、本物が欲しくなりましたが、手に終えません。そうやっているうちに美術雑誌の広告に陶磁器の骨董店を趣味で始めた人の広告がのっていて、素人歓迎とのことで、それでその店に飼うようになりました。

洋服店を経営しながら、焼き物が好きなようで店の中に、スペースをとってひらいています。そこに、1年くらい通ったでしょうか。




最初の美的なものへの出会い


いろんな趣味のなかでは、陶磁器の趣味は、楽しいものです。

陶磁器は、生活と密着したもので、本来は、実用品として使われてきたものが、そのなかできれいなものが、別にされて、飾られたりしてきたものとおもわれます。

生活の中から生まれた陶磁器というより、焼き物という言葉がぴったりですが、本来、実用品でありながら、美的に楽しめるところが、焼き物の楽しみでしょう。

私が、焼き物に関心を持ったきっかけが、高校時代の図工の時間に、先生が朝鮮の陶磁器の話をされて朝鮮の陶磁器のゆがんだところがなんともいえず、すばらしいといわれて、目が覚めたように聞き入ったのを覚えています。

図工には特別、関心があるわけでなく、普通の常識を超えたその言葉だけが、印象に残ってそのまま年月がたって社会にでました。

ある日、デパートに出かけましたが、デパートの美術のコーナーに、プラスティックでできたコピーの彫刻の人物像が飾っていまして、本物そっくりなので、何か気を引かれて、1点、買ったのが、美への開眼といえるかもしれません。






Copyright © 趣味としての東洋の陶磁器の楽しみ. all rights reserved.
無料ホームページ アフィリエイト レンタルサーバー FC2ブログ 転職